沖縄的な名前ですが、関ヶ原の戦いで大谷吉継が陣をしいた山城です。秀頼を迎えるために築いた仮城と言われています。
アースで見ると、その重要性がよくわかります。一番手前の山が玉城があった城山です。こんなふうに関ヶ原の全体がよく見えます。向こうに霞んでいる大垣方面、関ヶ原の入り口にどんと構える毛利方の南宮山、その右手前に小早川の松尾山です。南宮山の左側を新幹線、右を名神高速が走っています。関ヶ原で近づいたあと別れます。城山の下で新幹線はトンネルに入ります。新幹線から玉城はどんなふうに見えるのでしょう。
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輝元が動かず、秀頼が来ないうちに、小早川が松尾山に布陣してしまい、やばいと大垣から引き返すも追いつかれてまったという次第です。
何の役にも立たなかった玉城です。
輝元は戦後領地をどえらい削られました。
次は名神高速からみた南宮山と松尾山、城山です。Source:Google Map